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終わりが見えるということ 

思うのですが、今までは全て終わり方を予測かつ予見出来ていたのです。この人を好いてはいるが、きっとこのようにいつごろお別れをするのでしょうと。それは全てに言えることで、例えば友人であったり、その日1日の時間の流れであったり。唯一計りかねると感じていた誰かの考えですら、ここ数日の間にある程度の予測の圏内に収まってしまいました。これをわたしの成長の証とするか、老いとの邂逅とするかはその瞬間の気分に左右されるところのことですが、これが世に処世術といわれるものなのでしょう。 幼い日から、不器用な子どもで、周りの知恵足らぬことに憤りを覚え、かしこぶったおそらく可愛げのない子どもでしたが、三つ子の魂と申しましょうか、そのまま大人になってしまいました。 ただ、いまの方との行方だけは、今のところ見ようとしても現れませんので、そこに喜びを感じています。続くことはもちろんうれしいのですが、想像の範疇外というこの環境を、初めてのこととして喜んでいるように感じてなりません。

ただ例外に、件の旅行の際に、18万も使っていたことが、唯一予測かないませんでした。また貯金がなくなります。

蜉蝣日記風
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