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おとなになる、と決意 

唐突に重いテーマを持ってきました。唐突なのはいつものことなのでthroughしてください。

今日、弟が「A型の取り扱い書」?を買ってきました。わたしはそれを奪ってさっそく読書にはげみました。そこには、不器用に苦しむ等身大に近いわたしの姿が書いてあったように思います。これはA型の特質というより、日本人の大部分の特質なのではないでしょうか。アメ人のA型がこれと同じだとは到底思えない。

これは昔から感じてきたことですが、わたしは誰かに過小評価されることが勘に触ります。これは誰かに認められたい欲求の裏返しであって、コンプレックスの表れだと思います。ご存知の通り、わたしは父親と良好な関係を築くことができず、彼に一度も認められたことがありません。人を愛することがわからないのと同様に、他人からの認められ方もよくわかっていません。

大人になるとはどういうことかと考えた結果、受け流せる強さを身につけることだと感じました。わたしはある程度のことは受け入れますが、受け流すことができません。自分となんの関係もない(義理もない)他人の一言や態度でさえも深く考え気にしてしまいます。わたしの中には、人が思うよりかなり多くの不満が息づいているのではないでしょうか。
はっきりいって、予定通りにことが運ばないとイライラします。イレギュラーが働くと、落胆に近い感情が湧き出します。これは他人を許容しきれていないということでしょう。誰かと連れ添って生きるより、ひとりのほうが楽です。でも、ふと我に返って、寂しくなります。孤独に耐えられるほどの強さはもとよりありませんから、出家して隠遁するなんてできません。寂しいもん。

結局わたしは人のなかで生きていくしかありません。つまりはこの未熟な感情を今以上にコントロールし、他人を受け入れ、不満を受け流す必要があります。

わたしものママンはこの点よくできた人だと思います。彼女はうちに嫁として入ってきてしまった、憐れな女性ですが、うまくバランスをとって生きています。わたしだったら結婚3日目くらいで三行半をだんなにたたき付けていたことでしょう。

ここで思うのは、妙なプライドは邪魔なだけだということ。へたに自分の能力に自信があるぶん、他人の不当(と思われる)扱いに腹が立ってしまうのです。ママンはわたしのように自信過剰ではなく、とても謙虚な人で、自分のスペックに自信がない(らしい)ので、変に期待しないぶんうまく受け流しています。わたしが言われれば切れてしまいそうなことを祖父母に言われても、気付かないふりや従順なふりをしています。すごい。

いとこが県立高校に合格しました。佐賀のことなので詳しくありません。そのとき、祖母はわたしに「お前の学校はどうせ」といわれました。いとこの高校は偏差値でいうとかなり低い。しかも全入。このさいこれはどうでもいいのですが、祖母はお互いを不機嫌にするようなことしか言いません。年をとっても、言葉を選べないひともいるのです。このときは、いとこのことや、祖母との関係も考慮して笑顔を通しましたが、ここにぶちまけるくらい不満をもちました。これはわたしが学校に対して少なくともプライドをもっているからだとおもいます。

上手く生きれるおとなになりたい。今年でわたしも成人してしまうのに、中身はまだこんなに未熟です。死ぬ寸前まで(あるいはその瞬間まで)熟すことはないかもしれません。しかしわたしは本当の意味で他人を受け入れられない。許せない。とてもセルフィッシュな人間になってしまいました。心の貧しさは人生の貧しさにつながると思います。お金や権力や、保護の手よりも、もっと価値のあるなにかを見つけたいと思います。愛や優しさがそれにあたるかは分かりません。
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